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作品の受容のされ方と様々な演出・解釈
20世紀後半〜21世紀​

 ここでは第二次世界大戦後から現代まで『マイスタージンガー』がどのように演出され、解釈されてきたのかについて紹介していきます。

 ナチス時代に『マイスタージンガー』が利用されたことは20世紀前半で紹介しました。そのため戦後になると戦前と同じような演出をすることは難しくなりました。ナチス時代に背負わされた反ユダヤ主義的なナショナリズムをどのように克服していくのかがドイツの演出家たちにとって大きな課題となったのです。

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​戦後から現代のオペラ演出

 戦後変わらなければならなくなったワーグナーの上演において大きな役割を果たしたのがワーグナーの孫にあたるヴィーラント・ワーグナーでしょう。彼とバイロイト音楽祭についてはバイロイト音楽祭でも紹介していますが、彼によって「新バイロイト様式」と呼ばれるスタイルが生まれました。(「新バイロイト様式」についてはもっと理解を深めたい方向け 新バイロイト様式を考えようで詳しく説明しています。)

 それまでの『マイスタージンガー』ではニュルンベルクの街並みが舞台上に再現されていました。しかしヴィーラントは歴史上のニュルンベルクを思わせるものを舞台上からできるだけ取り除きました。彼の抽象的な舞台は他の演出家にも広く影響を与え、世界のワーグナー上演を席巻することになりました。

 1970年代になると、ヴァルター・フェルゼンシュタインが主張した「ムジークテアター」が広がっていきます。演出の比重が重くなり、台本から時代や場所を変更し、現代的に読み替える演出の流行に繋がっていきました。作品への忠実さなどの観点から批判もありますが、現在でも積極的に演出家が自分の解釈を示す演出が多く上演されています。

 今回日本で上演予定のイェンス=ダニエル・ヘルツォーク演出でも舞台設定は「劇場」になっています。

1幕3場ヴァルターとベックメッサーMeistersinger_0203.jpg

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』

              ザクセン州立歌劇場公演より

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​第3幕終盤でのザックスの演説を巡って

 戦後、『マイスタージンガー』を上演する上での大きな問題の1つが、第3幕の幕切れで歌われるザックスによるドイツの芸術の賛美でした。ナチスがプロパガンダとして利用したのもこの場面によるところが大きいと考えられます。このような過去があったため、ザックスが高らかに歌い、民衆が讃えるという構図は問題視されたのでしょう。

 また、ト書き上では、ザックスの演説後にエーファが月桂冠をザックスへかぶせると書かれています。しかしこれもそのまま上演することは難しくなりました。例えば、ヴォルフガング・ワーグナーの演出では、冠をダヴィデ王の旗にかぶせています。

 2013年のシュテファン・ヘアハイム演出では、冠をかぶった瞬間にザックスは倒れ民衆たちの中に消えていきます。この演出ではザックスとワーグナーが重ねられており、度々ザックスがパジャマ姿でワーグナーとして登場していました。しかし最後ザックスが倒れ、民衆たちが去った後に登場するのはパジャマ姿のベックメッサーでした。

シュテファン・ヘアハイム演出

 『ニュルンベルクのマイスタージンガー』​ トレーラー映像

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​ベックメッサーをどう扱うか

 さて、このベックメッサーも問題をはらんだキャラクターです。戦前主流であったベックメッサーが排除される演出は、戦後になるとタブーとなりました。

 1960年のヨアヒム・ヘルツによる演出では、作品の結末でベックメッサーが再登場します。民衆の歓声の中、ザックスがベックメッサーを舞台中央に呼び出します。このようなザックスとベックメッサーの和解はその後の演出にも取り入れられていきました。例えば、1984年のヴォルフガング・ワーグナーの演出では、最後にヴォルフガング自身が登場し、ザックスとベックメッサーを握手させています。また、ゲッツ・フリードリヒが演出した舞台でも二人の和解が描かれています。

3幕3場ザックスとベックメッサーMeistersinger_0634.jpg

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』ザクセン州立歌劇場公演より

​ザックス(右)とベックメッサー(左)

 このようなベックメッサーを和解させるような演出はとりわけ東ドイツにおいて支持されました。異物を全体へと融和させるという点をポイントとして、社会主義国家のプロパガンダとして利用されていきました。ヨアヒム・ヘルツは東ドイツで有名な演出家です。彼の演出では、社会にとって異物となったベックメッサーは排除されずに国家に包括されるべきものになります。この点において、意見の異なるものを国家主体と和解させ取り込んでいくという東ドイツのイデオロギーと合致していたのでしょう。

 さて、西ドイツではまた事情が変わります。ベックメッサーを排除する結末がタブーとなっていたのは変わりません。しかし、ベックメッサーを和解させ大団円に取り込むという方法は、『マイスタージンガー』が政治利用されていたという暗い過去を深く認識しているドイツ人が多数存在していなければ有効とはいえません。

 戦前を知らない世代が増えてきた近年では、改めて『マイスタージンガー』に潜む反ユダヤ主義的要素を明らかにする必要もあるでしょう。

 また、本当はベックメッサーの方が理性的なのではないかという見方もあります。第三幕ではザックスによってそれまでの価値観がひっくり返され、ヴァルターの歌が評価されます。民衆を上手く導くザックスの姿に全体主義への危惧を見ることもできるでしょう。そこに異を唱える存在としてベックメッサーを配置するというわけです。

 同質的な共同体は時代とともに硬直化していきますが、活性化のためには既存の共同体の「他者」や「異物」に理解を示す寛容性が必要です。ヴァルターは、そのような「他者」として共同体の再生に生かされますが、他方、ベックメッサーは共同体の「内なる異物」として排除されます。反ユダヤ主義と結びつく『マイスタージンガー』の作品構造の弱点です。

 そこで戦後の演出では、ベックメッサーの名誉の回復が繰り返し試みられています。ベックメッサーは古い規則にしがみつく小役人でも衒学的なインテリでもない。ザックスの演説への迎合とヴァルターの甘美な歌への共感によって引き起こされるポピュリズムを異化する他者として、ベックメッサーという存在の意味そのものが変化するのです。その意味で、ベックメッサーの「歌い損ね」を嘲笑するのではなく、その「異様な」歌に耳を傾けることができるようになったとき、本当の民主主義社会が誕生するのかもしれませんね。

 

 さて、ここまで『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の演出や解釈の一部をお話ししてきました。ここで紹介した演出はほんの一部です。

 今手に入るDVDや映像の情報は対訳と参考動画で紹介しています。

まずは映像からでも実際に作品に触れ、ぜひあなたの考えを巡らせてみてください。

​参考文献

ー音楽之友社編『ドイツ・オペラ 下 ワーグナー』音楽之友社、1999年

ー奥田敏広 「アンチヒーロー「ベックメッサー」の「名誉」をめぐって」,『ドイツ文學研究』51,pp.25-47,

  http://hdl.handle.net/2433/185481

ー堀内修『ワーグナーのすべて』2013年、平凡社

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