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19世紀​
​『ニュルンベルクのマイスタージンガー』最初の構想​

 このページでは、ワーグナーが最初に『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の物語を構想したとき、どのようなものであったかについて、『友人たちへの伝言』の記述に即して解説したいと思います。

 

 ワーグナーは16世紀に実在した人物ハンス・ザックスを、芸術創造をおこなう民衆精神の最後の体現者であると考えました。しかし、ザックス以外のマイスタージンガーたちは、既存の判定基準の範囲でマイスターの歌を評価していました。ワーグナーは、詩の規則表にとらわれた滑稽きわまりないものさしとして現れる俗物根性を、「判定役」という姿に完全に人格化して表現していました。この「判定役」は歌手組合から委任された監視人であり、歌い手、とりわけ組合加入志願者の歌が規則に反して犯した誤りを「見つけ」、線を引いて記録しなければなりませんでした。つまり一定数の線を引かれた歌い手は、「歌い損ねた」と判定されます。

 

 さて、組合の最長老は間近に迫った公開の歌合戦で優勝したマイスターに、自分の娘(のちのエーファにあたる人物)を嫁にやることにします。すでに判定役の一人(のちのベックメッサーにあたる人物)がその娘に求婚していましたが、そこへ若い騎士(のちのヴァルターにあたる人物)が対立候補として現れます。英雄物語と昔の恋愛歌人に魅了されていたこの若い騎士は、零落して荒廃した祖先の城を後にして、マイスタージンガーの芸術を習得するために、ニュルンベルクを訪れていたという設定になっています。

 

 彼はとりわけ「組合のマイスターだけが獲得できる」懸賞である娘への熱烈な恋心から組合への加入を志願し、マイスター試験に臨んで女性を讃美する熱烈な歌をうたいます。しかし、この歌は詩の規則表に全く沿わなかったため立て続けに判定役の不興を買い、歌の半ばにしてすでに「歌い損ね」の判定を受けてしまいます。この若者に好感を抱いたザックスは、マイスター試験に落ちてしまったためやむなく娘を誘拐しようという彼の絶望的な試みを、彼に対する善意から妨害します。

 

 このときザックスはまた同時に、彼の恋敵である判定役をひどく立腹させる機会を得ます。この判定役は、ザックスに注文していた靴がなかなか出来上がらないので、ザックスを辱めようとして怒鳴りつけます。そして夜になると娘の窓の前に立ち、彼女の獲得を願って作った歌を、セレナーデとして試しに歌って聞かせようとしました。優勝者の決定を左右する彼女の同意を確保することが、彼にとっては重要だったからです。この歌がうたわれる家の向かいに仕事場を構えていたザックスは、「仕事のために夜遅くまで目を覚ましていたければ、こうすることが必要なのだ。これが急ぎの仕事だということは、あれほど厳しく靴を催促した判定役殿が誰よりもよくご存じのはずだ。」という説明のもと、判定役が歌い始めると同時に自分も大声で歌い始めました。

 

 最終的にザックスも気の毒になり、大声で歌うことをやめると約束しますが、代わりにザックスの感性で判断して判定役の歌に誤りを見つけたら、これまたザックスの(靴屋の)流儀で印をつける、つまりそのたびに靴型にはめた靴をハンマーで叩くということを承諾させます。こうして判定役が歌いだすと、ザックスは何度も繰り返して靴型を叩きました。判定役は激昂して飛び上がりますが、ザックスは落ち着き払って歌は終わったのかと尋ねます。「まだまだ」と判定役は叫びますが、ザックスは笑いながら靴を店の外に差し出して、「印つけ」がちょうど終わったと宣言します。これに自暴自棄になって、休止もおかずに歌の残りの部分を喉から絞り出した判定役は、窓辺で激しく首を振る娘の姿を目の当たりにして痛ましくも不合格の判定を受けることになるのです。

 

 この一件を悲観した判定役は、翌日ザックスに求婚のための新しい歌を要求します。それに対しザックスは、どこから手に入れたか分からないと偽って、若い騎士の詩を渡します。ここでザックスは、この詩を適切な「旋律」で歌わなければならないことによく注意するよう促します。思い上がった判定役は満々たる自信を抱き、歌合戦本番のマイスターたちと民衆による公の審判を前に、その詩を今度はまったく歪めた不適切な旋律で歌いあげます。その結果、彼はまたしても、そして今度こそ決定的に不合格となってしまうのです。

 

 判定役は猛り狂い、ザックスが破廉恥な詩をつかませたのだといって、その欺瞞を非難します。それに対してザックスは、「この詩はまったく優れたものであるが、ただそれにふさわしい旋律で歌わなければならない。正当な律を知る者が勝者に定められているのだ」と言明します。そして最終的に若い騎士がそれをなしとげ、花嫁を獲得することになるのです。こうしてこの若い騎士は組合への加入が認められるのですが、彼はそれを拒絶します。するとザックスは、ユーモアをこめてマイスタージンガーの共同体を擁護し、次の詩句で言葉を結びます。「たとえ神聖ローマ帝国が雲散霧消しようとも、我らには神聖なドイツ芸術が残るだろう。」

 

 …いかがでしたでしょうか。私たちが知っている、完成版の『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の内容とも比較してみてくださいね。

参考文献​
ーワーグナー『友人たちの伝言』(杉谷恭一、藤野一夫、高辻知義訳)、法政大学出版局、2012年
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