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​学生の対談3 コミュニティについて
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​対談メンバー

もんちゃん:国際人間科学部グローバル文化学科4回生・吹奏楽部でクラリネットを吹いてます

なっちゃん:国際人間科学部グローバル文化学科4回生・ESSで英語劇をしていました

 

さわちゃん:国際人間科学部グローバル文化学科4回生・ワーグナーの好きなところは、自分に正直なところです

芸術とコミュニティ

もんちゃん:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の中では、コミュニティが新しく生まれ変わる様子について描かれていますよね。

第一幕では、ヴァルターはコミュニティの部外者としてベックメッサーを含むマイスターたちから排除されています。しかし、第三幕ではザックスによる導きもあり、新しい価値観をコミュニティにもたらすものとして受け容れられました。

ワーグナーはヴァルターを、新しい芸術の創造とコミュニティの再生にとって不可欠な美的インパクトに見立てています。その美的インパクトが外部から加わることによって、硬直したコミュニティに変化をもたらすことができると楽劇の中で伝えています。

なっちゃん:現在のコミュニティを考える上でもこの視点は役に立つと思います。私たちの生活の中でも様々な硬直した制度や慣習や常識が存在していますもんね。

さわちゃん:役所で書類がたらい回しになったり、残業が当たり前で家族との時間が持てなかったりするのもそうですよね。

なっちゃん:そういったことについて、私たちは不満があるにも関わらず、変化させようとはしませんでした。しかし、新型コロナウイルスによって行動が制約されたことで、私たちは以前の生活の常識から外れて新しい生活を送らざるを得なくなりましたよね。

さわちゃん:今の生活は大変ですが、ここから見えてくることもたくさんあると思うんです。このような状況だからこそ、これまでの社会が抱えていた問題や社会の弱い部分が露呈しています。現在の日本では、「早く元の日常に戻りたい」という考え方をする人が多いと思いますが、本当にコロナ以前の日常はいいものだったといえるのでしょうか?

もんちゃん:そのことに関して、私の中でポーランドの小説家オルガ・トカルチュクさんがドイツの新聞に掲載したエッセイ、「いまや新しい時代がやってきている!」が印象に残っています。

トカルチュクさんは、コロナ以前の生活は実は人間の本来の営みから外れていて、コロナ以後の世界にこそ逆に人間の本質が現れているのではないか、とおっしゃっています。家から出ることができないことはたしかに不便です。しかし、社会の時計仕掛け的な忙しさから逃れて自分自身の時間を見つめることによって、創作活動をしたり、散歩に出かけたり、人間の自然の流れを取り戻すことができているのではないでしょうか。

生活していくためには現実的ではない、という意見もありますが、少なくとも以前の社会になかった価値を見つけることができたと思います。

なっちゃん:面白い考え方ですね。皆さんの中にも生活の中で新しい変化があった人もいるのではないでしょうか。たしかに今は危機的状況にありますが、この機会を前向きに捉えることもできますよね。

さわちゃん:社会の問題点が見え、それについて考える機会ができたということは、視点を変えると、現在のコロナ騒動によってコミュニティを見直す転機が訪れているともいえるのではないかと思います。例えば、コミュニティ内での芸術のあり方を考え直すこともできるかもしれません。

もんちゃん:そうですね。今までは芸術に興味がない人が芸術に触れるきっかけは少なかったと思います。しかし、今回のコロナ騒動によって時間に余裕ができたり、インターネット上で無料で音楽や演劇などが公開されたりしたことで、新しい芸術に出会うきっかけになった人もいるのではないでしょうか。

さわちゃん:例えばびわ湖ホールの自主制作オペラである、ワーグナーの『神々の黄昏』はYoutube上で無料公開され、普段オペラに触れない人がオペラに触れるきっかけになったと言えます。他にも、様々な劇団や楽団がインターネット上で動画を公開していますね。

 

なっちゃん:芸術に携わる人の中にはインターネット上でメッセージを発信している人もいますね。静岡県舞台芸術センターの芸術総監督である宮城聰さんは、インターネット上で『くものうえ⇅せかい演劇祭』を実施しました。

閉幕メッセージで彼は「演劇を作っているような人というのは孤独と向き合ってしまいがちな人」で「今みたいに地上の圧倒的多数の人が自主隔離せざるを得なくなった時に、普段から孤独と向き合っちゃってきた人たちの知恵みたいなのが使えるのかもしれないなと思ったりするんです。」と話しています。

もんちゃん:芸術家たちが孤独と向き合いがちというのはそうかもしれないですね。だからこそ、コロナ騒動の中で芸術家たちが発する言葉や表現は、いつにも増して私たちの心に響くのかもしれません。

さわちゃん:しかし日本社会では、芸術のこのような側面に気づかずに芸術を不要不急なものとして扱っている風潮があるのではないでしょうか。芸術は、「マイスタージンガー」の中でも描かれているように、コミュニティに新たな考え方をもたらし、前へと進めていく力を持っていると思います。これを機会に芸術に対する認識を見つめ直す必要がありそうですね。

なっちゃん:たしかに「マイスタージンガー」では、芸術がコミュニティ全体に大きなインパクトを与えていますね。しかし今の現実の社会を見ると、芸術がそれほど大きな力を持っているわけではないことも確かです。

もんちゃん:ワーグナーの考えはあくまでも理想論だと思います。「マイスタージンガー」で描かれているコミュニティは、排除やポピュリズムなどの問題もはらんでいるので、読み取ったことをそのまま現実に反映させようとすることには注意が必要でしょう。

さわちゃん:そうですね。これまでの話を踏まえて、これを読んでいる皆さんは芸術と現在のコミュニティのあり方についてどう思われるでしょうか。

 

 

さわちゃん:次にコミュニティからの排除の問題について考えていきましょう。

第一幕ではヴァルターが部外者としてコミュニティから排除されていました。しかし第三幕では、今度はマイスター側に立っていたベックメッサーが排除される側に追いやられることになりましたね。

これは、第二幕においてザックスに散々にこき下ろされたベックメッサーが、自身を見失って規則から外れた結果と言うことができます。もしくは、ベックメッサーの固持していた古い規則から人々が脱却した結果、彼が反対にコミュニティから阻害されてしまったと言うこともできるでしょう。

もんちゃん:このような排除問題は、どの時代にでも当てはまることだと思います。現在を例にとってみると、新型コロナウイルスが蔓延したことによって、人の心の中にある差別意識が見えやすくなってきているのではないでしょうか。

なっちゃん:友達の話によると、実際に奈良では新型コロナウイルスに感染したおじちゃんが地域に住めなくなり、引っ越したらしいです。その他にも、地域外から来た人に対して厳しい態度をとる人が増えていますね。

さわちゃん:感染症に関連して、中世のヨーロッパでペストが流行ったときも、「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」といったデマが流され、原因を部外者に押し付けました。これは、感染症に対して自分たちではどうすることもできないという不安を、部外者に押し付けることによって、自らは安心を得ようとする人間の弱さだということができると思います。

もんちゃん:人々がそんな根も葉もなさそうなことを信じてしまったなんて、恐ろしいですね。

なっちゃん:そうですね。大衆の考え方は簡単に左右されることもあります。例えば「マイスタージンガー」では一晩のうちに排除の対象が変わるなど、人々の価値観の転換が一気に起こりました。このことに関しては、ザックスが人々を扇動したというポピュリズム的な解釈の仕方もあります。

さわちゃん:コミュニティ内で価値観の転換が起こると、今までは差別されていなかった人が、突然差別の対象となる危険性があるのですね。差別は自分の身に直接関係がないと、あまり気が付きにくいものだと思います。もう少し自分と立場が違う人間についても考える必要がありますね。

もんちゃん:「マイスタージンガー」でベックメッサーが排除の対象になったのは、彼が少数派になったからだという見方をすることもできます。現代のコミュニティでも、少数派の人々が排除の対象になることはよく見られます。例えば、外国人や障がい者、性的少数者など、挙げはじめるとキリがありませんね。

なっちゃん:前半で挙げたコロナやペストの例のように、自分に害が及ぶ危険性がある場合、排除の傾向が強くなるのではないかと思います。こういった状況にあると、他人のことを思いやる余裕がなくなってしまいます。

さわちゃん:芸術とコミュニティについての議論でも出たように、現在はコミュニティを新しくする転機とみることもできますが、その際にはコミュニティから疎外されてしまったり、置いていかれたりする人々にも目を向ける必要があります。そういった人々に対して想像力を働かせることが大切ですね。

全員:いかがでしたでしょうか。皆さんはこれを読んで何を考えましたか?ぜひコメント欄にご意見をお聞かせください!↓

コミュニティからの排除

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