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ワーグナーの音楽について
Topics
1.<楽劇>の音楽的特徴

 ワーグナーの音楽的功績を語る上で欠かせないのが、<楽劇>という新しいオペラの形式です。

 

 <楽劇>はドイツ語のMusikdramaを訳したものです。ドイツ・オペラはワーグナーによって新しい形態をとることになりましたが、その新形式が従来のオペラとはかなり異なった様式と形態を持っているので、特にこのように呼ばれています。

とはいえ、ワーグナーの初期の作品『リエンツィ』『さまよえるオランダ人』『タンホイザー』『ローエングリン』などは、基本的には旧来のオペラ形式を踏襲しているため、楽劇とは呼ばれません。それらより後に作られた『トリスタンとイゾルデ』『ニュルンベルクのマイスタージンガー』『ニーベルングの指環』『パルジファル』の4作が楽劇のジャンルに属するものだとされています。

 

 楽劇の構想がどういった経緯で組み立てられていったのかについては別ページ【19世紀 ワーグナーの生涯】にてご説明していますので、そちらをご覧ください。

  さて、<楽劇>には大きく分けて次の4つの音楽的特徴がみられます。

特徴その1

 第1の特徴は、アリアや重唱や合唱など、オペラの中の独立した楽曲に番号を付けた従来の「番号付きオペラ」を排して、音楽全体が段落感なしに続いていく無限旋律(unendliche Melodie)の様式をとっていることです。無限旋律とは、1つのメロディーが無限に続くという意味ではなく、音楽全体が何らかの形で切れ目なしに続いていくということです。

特徴その2

 第2の特徴は、歌唱部がアリア(オペラの中の「歌」の部分で、心情を十分に吐露する抒情的で旋律的な歌い方)とレチタティーヴォ(話し言葉の自然なリズムやアクセントを模した歌い方)に峻別されず、一種のアリオーソ形式の採用、つまり声部がセリフの表現に従って統一されていることです。そのためワーグナーの楽劇は、これまで歌手たちには求められなかった劇的な表現力を要求することになりました。

特徴その3

 第3の特徴は、ライトモチーフ(示導動機)を使用していることです。これは音楽的動機を単語のように一定の意味を持たせたもので、ある人物や観念などを特定の旋律で指示し、劇的な展開を促します。また、ライトモチーフを採用することで伴奏のオーケストラが様々な意味を持って語ることができ、その結果、劇の発展と密接な関係を持つようになりました。特に、人物が言葉では伝えることの出来ない意味をオーケストラが告げることが出来るという点でこの考えは非常に革新的であると言えるでしょう。

 また物語の進行の中で、過去(の出来事)を回想させることで、現在の行為の意味を重層的に示唆する役目も果たします。その行為が運命づけれたものであったり、必然的なものであったり、反対に思わず知らず起きたものであったりなど、ライトモチーフのおかげでドラマの構造が有機的なシステムになります。

 さらに、登場人物の表層の可視化された行為(言動)と、ライトモチーフが暗示する深層心理(隠された気持ち)との複雑な関係がドラマの深みを明らかにしてくれます。

 ちなみにワーグナーは著作『オペラとドラマ』にて、初めてライトモチーフの技法に理論的な意味づけを行っています。

特徴その4

 第4の特徴は、オーケストラの表現範囲が拡大されていることです。それにより音楽自体の様式も複雑化し、特に和声や楽器法は全く新しいものとなりました。このため楽劇は交響的な音響を持つものとされ、一時は<楽劇>という言葉の代わりに「交響的オペラ」という名称も使われていたといいます。

 

 ワーグナー自身は「楽劇」という概念をあまり好んでおらず、いわゆる楽劇時代の作品には、それぞれに異なったジャンル名が記さています。『ニーベルングの指環』は「舞台祝祭劇」、『トリスタンとイゾルデ』は「3幕からなるハンドルング(筋=行為)、『パルジファル』は「3幕の舞台神聖祝祭劇」と銘打たれています。しかし『マイスタージンガー 』には最終的には、個別のジャンル名を付けませんでした。ですから、楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』というのは通称なのです。

 

 <楽劇>は特にワーグナーの作品について言われますが、その後のリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)やプフィッツナー(1869-1949)のオペラもその特徴をかなり継承しているので、この名で呼ばれることが多いです。またワーグナー以前のモンテヴェルディ(1567-1643)やグルック(1714-1787)のオペラは、音楽的な様式はまったく別ですが、ドラマが表現の支配的な役割にある点で楽劇的であると言われることもあります。

2.音楽の対立

ワーグナー派VSブラームス派

 19世紀半ば、ワーグナーやリストなど音楽に物語性を与え、それを鮮やかな和声と管弦楽で表現した作曲家たちは“新ドイツ派”と呼ばれ、時代をリードし、若い作曲家から強い支持を受けていました。彼らの音楽は、音楽を他の芸術と結びつける「標題音楽」的な傾向を強く持っていたのです。これに対し、厳しい批判の矢を向けたのがドイツの音楽批評家エドゥワルト・ハンスリック(1825-1904)でした。

 

 音楽の美はあくまでも音と音の関係そのものの中にあると考えるハンスリックは、新ドイツ派の音楽を「不純」で悪しきものだと批判する一方、ベートーヴェンの流れを汲んだブラームス(1833-1897)の音楽を高く評価していました。こうして19世紀後半のドイツやオーストリアの音楽界では、ワーグナー派とブラームス派に区分されることになります。この対立は、根本的には「標題音楽」と「絶対音楽」のどちらが優位にあるかをめぐるものでした。

 

 そもそも新ドイツ派とブラームス=ハンスリック派という対立が明確化した事の発端は、1860年に登場した「反・新ドイツ派宣言」という奇妙な署名文にあります。署名者はここで『〈新ドイツ派〉の指導者並びにその門徒の作品は、音楽の最も深い本質に反するものであり、一方で彼らがこの原則を実践し、他方でますます新奇な理論の採用を強行していることを、これらの者はひとえに嘆きかつ如何に思うものである』と宣言していたのです。ブラームスはアンチ・ワーグナーを表明してはいなかったのですが、ハンスリックの愛顧を受けていました。彼はこの声明文に署名したため、結果的には彼自身の意に反して「反ワーグナー派」の陣営につくことになったのでした。

標題音楽VS絶対音楽

 その後、ブラームス派の主唱者ハンスリックはワーグナーの「楽劇論」やリストの「標題音楽」の理念に対して、器楽による「絶対音楽」の形式美が持つ時代を越えた普遍性を主張し続けてきました。つまり彼は、旋律が優れ、且つ感情を豊かに表現するという感情美学を内包する「標題音楽」的な作品に異を唱え、強靭な形式的構築性によって音楽固有の美を顕現させる「絶対音楽」の優位性を主張することで、聴衆の感情に条件づけられることの無い自立的な美を併せ持った作品を称賛したのです。

ハンスリックVSワーグナー

 ただハンスリックが期待したようには、ワーグナーへの反論はうまくいかなかったと言えるでしょう。というのも彼は「未来音楽」という呼称を用いて、ワーグナーの作品は“旋律が欠如”し、駄作であると中傷しているのですが、このワーグナーに対する反論は二重に空回りしていたからです。

 

 一つは、「未来音楽」という言葉についてです。ハンスリックはワーグナーの論文のタイトル『未来の芸術作品』からこの言葉を引用し蔑称としていましたが、そもそもワーグナーは自身の論文で“特殊芸術の総合化を音楽によるドラマで実現するという歴史的必然性を明らかにする”という眼目で「未来音楽」という言葉を用いていました。そのためワーグナーにとっては「未来音楽」という蔑称に便乗した姑息な中傷はお門違いで、議論のレベルが違うものとして本格的な反論をほとんど行う必要がなかったのでした。

 

 そしてもう一つは、「無限旋律」の意図をハンスリックが理解せずにいたことです。かつてベートーヴェンの交響曲に感銘を受け「言葉による音の救済」を発見したワーグナーは、詩人の沈黙のうちに秘められた内容を澄明な響きに変えるのが音楽家の役目であり、その救済こそが「無限旋律」であるとして総合芸術を創り上げてきましたが、ハンスリックは彼の音楽を「無旋律」であるとして猛烈に批判しました。また、彼を含むブラームス派の批評家たちも「ヴァーグナーのオペラにはまるで旋律がなく、全編が退屈極まるレシタティーフや皆目わけわからぬ音楽のたわごとばかりだ」と主張しています。

 

 しかしながら、ハンスリックにとっては無形式主義と映る「無限旋律」はワーグナーによれば真の形式であり、彼の目からすればイタリア・オペラの旋律を尺度にして自身の音楽を否定する様子は非常に幼稚なものでした。したがって音楽の内容を「鳴り響きつつ連動する形式」であるべきと規定したハンスリックのテーゼは、ワーグナーの「無限旋律」論によって止揚されることになります。

 

 ちなみにハンスリックの執拗な攻撃に対して、ワーグナーも黙ったままではいませんでした。彼は自身のオペラ『ニュルンベルクのマイスタージンガー』に口ばかり達者で、歌はからっきし下手であるというベックメッサ―を登場させましたが、これはハンスリックをあからさまに揶揄するものだったのです。実際に台本を手掛ける段階では、この人物に「ハンスリック」という名前が付けられていました。

 また、ワーグナー派対ブラームス派という構造が音楽界全体を巻き込んだものへと発展した当時、まだ若かったマーラー(1860-1911)はワーグナーに心酔し、ブラームスを批判する文書を発表しています。

ー田村和紀夫『クラシック音楽の世界 名曲で読み解く!西洋音楽の歴史としくみ』 新星出版社(2013)

ー海老沢敏、稲生永監修『ガイドブック音楽と美術の旅 ドイツ』 音楽之友社(1995)

ー西村理監修『よくわかるクラシックの基本』 西東社(2011)

ー藤野一夫「『ブラームス対ヴァーグナー ―「絶対音楽」と「未来音楽」をめぐる美学論争』』 洋泉社『ブラームス』(1993)

参考文献
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