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​マイスタージンガーにおける音楽について
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 1つ前のページの[ワーグナーの音楽について]では、ワーグナーの楽劇における特徴、音楽界における対立について解説しましたが、このページでは、ワーグナーの音楽的特徴を復習をしながら、マイスタージンガーにおける音楽的特徴と結び付けて解説していきたいと思います。

1.無限旋律について

 通常オペラでは、登場人物がアリアを歌い上げた後には拍手が起こりますが、ワーグナーの楽劇では、途中で拍手をするのはご法度だそうです。なぜなのでしょう?

 

それは、楽劇全体が網目のように組まれていて、途中で区切ることができないからです。ワーグナーはこれを<無限旋律>と呼んでいます。<マイスタージンガー>においても、この<無限旋律>によって楽劇全体が支配されています。これについてワーグナーの楽劇を酷評したことでお馴染みの、ウィーンの音楽批評家エドゥアルト・ハンスリック(1825-1904)は次のように解説しています。

ある小さな動機が生まれると、それが真の旋律ないし主題へと形成される前に、いわば曲げられ、折られてしまい、絶え間ない転調と異名同音の進行によってさらに高い音にされ、あるいは低い音にされ、ロザリアRosalien(*ある動機を、音の高さに変化をつけるだけで連続的につなげる手法のこと)によって継続され、そして継ぎ合わされ、再び短縮され、さまざまな楽器により反復され、または模倣されていく。この骨なしの音の軟体動物は、あらゆる終結のカデンツを不安気に回避することによって、自己再生を重ねつつ無際限へと流れ続ける。


劇的な進行、つまり独白、対話、全員登場の場などでは、全体にわたって旋律の糸は声ではなく管弦楽の中に移され、ここで<無限の>糸として、ちょうど紡績工場の糸車から繰り取られるように一様に紡ぎ出されるのである。

 ハンスリックにとって「無限旋律」は無形式主義として映り、「旋律の欠如」という理解から「未来音楽」(「未来音楽Zukunftsmusik」とは「夢想」あるいは「絵に描いた餅」といった意味)として批判しましたが、元々「無旋律」との批判に受け立つためにワーグナーは自ら「無限旋律」というタームを用いたのでした。

 ワーグナーの音楽が「未来音楽」と中傷された由来は、ワーグナーが考える「総合芸術論」を体系的に披瀝した自身の著作『未来の芸術作品』にあるのですが、自分の芸術への誤解を晴らそうと『いわゆる<未来音楽>について』と題する論文の中で次のように弁明しました。

理想の芸術作品を完全な形で実現することは ―特に、社会に対する劇場の位置付けがまるで間違っているという自分の現状認識に照らしてみた場合― 今の時代にはとても不可能だと考えた私は、自分の理想を<未来の芸術作品>と名付けた。(…)この表題のせいで<未来音楽>という幽霊が捏造され、この幽霊はフランスの芸術時評あたりにも頻繁に出没してすっかりお馴染みになってしまった。

 <ニュルンベルクのマイスタージンガー 第一幕への前奏曲>はアマチュアのオーケストラでもよく単独で演奏されますが、単独で前奏曲のみが演奏されるときは、最後はジャン!と終わります。しかし、楽劇では終わりがないまま第一幕へと続いていきます。

2.マイスタージンガーにおける、管弦楽の優位性について

 ワーグナーの作曲技法は従来の巨匠たちが用いた技法とは異なっていました。通常、作曲家が音楽を構想する際、声の旋律が先行して決定的なものであって、伴奏は旋律に従属していました。しかし、『マイスタージンガー』においては、オーケストラが歌を差し置いて、物語進行上大切な役割を担っています。以下はハンスリックによる解説です。

『マイスタージンガー』の場合、歌の声部そのものが単なる不完全なものというのではなく、むしろ、まったく無きに等しいのである。つまり、伴奏がすべてなのであって、それは、独立的な交響的作品であり、あってもなくてもいい声楽の伴奏を持つ、管弦楽による幻想曲なのだ。

 

要するに、舞台の下のオーケストラが歌手であり、中心的な担い手であるのに対し、舞台上の歌手たちは補完楽器としての役割を果たすのである。

 通常のオペラのようにアリアを繋いで歌が物語を進行し、管弦楽がそれに付随する「歌唱劇」と区別するために、音楽と劇とを総合するという考えから<楽劇>が生まれたのでした。

 

<マイスタージンガー>は、テキストが先に存在し、それにワーグナーが音楽をつけたのでもなければ、逆に音楽が先に存在し、それにテキストをつけたのでもありません。作曲の構想と台本の構想とが交互に現れていることから、ワーグナーの作品構想は、作品の理念から出発したという事実を示しています。このような文学上の構想と作曲上の構想の併存が可能となったのは、音楽と劇とを総合するという考え方が確たるものであったからです。

この点は、ワーグナーにとっての「ドラマ」とは何かを押さえておかないと誤解されやすい点ですが、複雑な問題をはらんでいるので、今は深入りしないでおきます。

クロノロジカルに実証研究すると、まずは1845年のあらすじのスケッチがあり、61年〜62年の韻文台本ができ、その直後に作曲に着手しています。しかしワーグナーは、いわば両性具有であったことから、音楽と詩(テキスト)を同時に1つのイメージとして把握していたことについても、たびたび語っています。

 

「作品の理念」とは何かを説明することは簡単ではありませんが、このような音とコトバとが結びついたイメージであったことは確かでしょう。通常の理念は、抽象的な概念を意味しますが、ワーグナーの場合は具象的なイメージだったと思われます。ただ、そこに「気分」が伴っていたことも重要です。

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 セリフだけではなく音楽も物語を語っている、そして<マイスタージンガー>は音楽こそが筋書きに先行しているということが特徴です。例えば、組合が民衆に対して門戸を開くようにとのザックスの主張は、マイスターたちからは拒否されますが、少なくとも音楽によってそれは部分的には実現されているのです。

3.市民階級の世界を表現した<マイスタージンガー>の音楽

 <マイスタージンガー>は、その音楽全体がコラールや民謡の調子を模倣して作られています。<マイスタージンガー>における音楽は、誰もがそれを覚えて口ずさむことができるくらい、単純で素朴なものとなっています。それは第一に、この作品に民衆的な性格を与えるという使命があるからです。以下は、ワーグナー研究で著名なエゴン・フォスの『ドイツ市民階級のオペラとしてのワーグナーの<マイスタージンガー>』での解説です。

聞き手がこの作品で親しみを覚える伝統、すなわち、プロテスタントのコラールおよび民族の伝統は、抽象的なものではなく、生活と疎遠なものでもない。むしろ、それは市民生活それ自体の一部を形成しているのであり、少なくとも<マイスタージンガー>が書かれた19世紀後半の初めにおいてはそうであった。しかしまた、今日においてもなお、この伝統は市民階級の日常生活の中に深く根を下ろしている。<マイスタージンガー>の音楽的雰囲気が、これほどまでになつかしさと親しさを感じさせてくれる理由はここにある。市民社会で成長した人間にとって、この音楽と自ら一体化し、この音楽の中に自己を再発見し、この音楽をドイツ市民階級の世界を表現したものと感じることは、難しくはないのである。

4.ライトモチーフ

 上記で説明した「旋律の無限性」という大海の中で、ワーグナーは「ライトモチーフ(指導動機)」という技法を使用しています。「ライトモチーフ」とは、特定の登場人物が舞台に現れたり、特定の事件が述べられたりするたびごとに、管弦楽が鳴り響かせる主題のことで、ワーグナーの楽劇によって確立されました。ライトモチーフは、時空の隔たった個々の行為のうちにドラマとしてのつながりを作り出すだけでなく、全体に音楽的統一をもたらすために欠かせない要素となっています。

 

ワーグナーはこのライトモチーフを、これらを変形し、あるいは複数のライトモチーフを絡み合わせ、楽劇全体に散りばめ、張り巡らせています。ワーグナーの作品では、ライトモチーフは人物だけでなく、モノコト、想念の基盤をも形作っています。

 

例えば、マイスタージンガー組合には行進曲調のライトモチーフが、弟子のダーフィトには落ち着きのない16分音符の音形が与えられ、同様にヴァルターやベックメッサーにもそれぞれ固有のテーマがあります。また、オペラの中で誰かが聖ヨハネ祭や懸賞歌のことを口にするや否や、第一幕のポーグナーの動機が響き出します。

5.前奏曲におけるライトモチーフ

 ここでは前奏曲から、どのようなライトモチーフがどのように使用されているのか、みていきたいと思います。もし<マイスタージンガーの前奏曲>を演奏したことがある方は、ぜひ手元に楽譜を用意してみてください。もし<マイスタージンガー>の物語を知らない方は、まず始めに入門編の[あらすじ]に戻ってチェックしてみてくださいね。

 前奏曲は歌劇全体をダイジェストで示唆するような構成になっています。逆に言うと、5時間に及ぶ楽劇全体で、前奏曲で耳にしたメロディがあちらこちらで再び耳にすることができます。

 この前奏曲は、ハ長調の全音階的進行を基盤に持ち、明朗な力強さを特色としていますが、主に次の7つのモチーフから構成されています。(譜例は『ワーグナー 楽劇<ニュルンベルクのマイスタージンガー>第一幕への前奏曲』高木卓解説による)

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前奏曲はまず「マイスタージンガーの動機」①から力強く、総奏で開始します。マイスタージンガーたちがきらびやかな祝祭の装いに身を包んでニュルンベルクの民衆の前に行進して来る様子を表しています。この動機は楽劇中、マイスタージンガーたちが登場する場面だけでなく、登場人物の話の中で「マイスター」という言葉が出てくるとそれに合わせて、度々耳にすることになります。

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この動機①にもとづく音楽が、親方歌手の世界の雰囲気を高揚したのち、「愛の思いの動機」②(初出は第27小節)がクラリネットとフルートによって奏でられます。これはヴァルターとエーファの恋愛を示していますが、例えば第一幕のはじめ、青年騎士ヴァルターと金細工師の娘エーファが出会う場面でこの旋律が流れます。

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続いて、「親方歌手の更新の動機」③(初出は第40小節)が、管楽器でファンファーレ風に勇壮に響き渡り、やがてそれは親方の歌そのものを象徴する「親方歌手の芸術の動機」④(初出は第59小節)へと移っていきます。④の動機は例えば、楽劇のクライマックス、ハンス・ザックスが「芸術」について語る演説の際に用いられています。

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次に特に重要かつ有名な「愛の動機」⑤(初出は第97小節)が1stバイオリンによってpで優しく入ってきます。ここでの指示表記はドイツ語で”sehr zart und ausdrücksvoll“ となっていますが、これは「非常に優しく(愛情を込めて)表情豊かに」という意味です。

 

この旋律は、上記の「愛の思いの動機」③よりも、もっと端的にまた明瞭に、青年騎士ヴァルターの強い愛を直接表しています。劇中では、ヴァルターがエーファに自分の熱い思いを伝える時、そしてエーファを勝ち取るために歌う優勝歌に用いられています。

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ヴァルターの愛は、すぐさま苦しく切ない「情熱の動機」⑥(初出は第103小節)へと移っていき、リレーのように様々な楽器で繋げられます。

しかし、ヴァルターの愛の世界は、突然「親方歌手の動機」①によってさえぎられます。ここでは初めのときのように堂々とではなく、変ホ長調で、木管楽器のスタッカートで演奏されます。これは、規則一点張りで融通のきかない書記親方ベックメッサーが、ヴァルターの純情や愛を妨害するさまを暗示しています。

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規則にこだわる妨害者に対して「嘲笑の動機」⑦(初出は第138小節)がかぶさります。まずはチェロ、それからビオラと低弦が嘲笑し、それはヴァイオリンから管楽器へと伝染していきます。ここから総出で16分音符、スタッカート、トリルが組み合わさりカオスな状態になりますが、一般民衆が笑い声を上げているかのような、あるいはヴァルターの恋慕を邪魔する人たちが入り乱れる様子が想像できます。

 

 この⑦は、劇中ではベックメッサーがエーファを得ようと歌合戦の場でいよいよ歌うとき、民衆の嘲笑の声としてしきりに用いられています。

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 そして終盤にさしかかる第158小節からは、「親方歌手の動機」①、「親方歌手の行進の動機」③、そして「愛の動機」⑤が重なって同時に響き渡ります。青年騎士ヴァルターが、ハンス・ザックスによってマイスタージンガーの世界に包み込まれていくかのようです。

そして最後は、総奏で「親方歌手の動機」①がとどろきわたり、「ハンス・ザックス万歳」という声のごとく、力強く終わります。

 このように、前奏曲はストーリーを凝縮させて、これからどのような話が始めるのか見せてくれています。楽劇全体を見たことがある方も、まだない方も、どこの場面でどの旋律が用いられているのか、今度は音楽に注目しながら楽劇『マイスタージンガー』を楽しんでみてください。

ー『名作オペラブックス23 ワーグナー ニュルンベルクのマイスタージンガー』音楽之友社(昭和63年)

ー『ワーグナーヤールブーフ 1995』より 構成/解説 山崎太郎「ワーグナーの考えたライトモチーフ」日本ワーグナー協会(1996)

ー『ワーグナー 楽劇<ニュルンベルクのマイスタージンガー>第一幕への前奏曲』解説/高木卓 全音楽譜出版社(2018年)

参考文献
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