もっと理解を深めたい方へ
「新バイロイト様式」を考えよう!
20世紀後半〜21世紀
1.
「新バイロイト様式」
ヴィーラントは、観客がワーグナーの芸術の中で今まで知らなかった自分を発見することができるように、あえて象徴的で抽象的な舞台を創造しました。コスト面で制限があったという背景もありますが、極限まで切り詰めた象徴的な舞台装置、光と闇の洗練されたコントラストを用いた彼の抽象的演出では、フロイトの深層心理学と神話学とが手を携えて、人間の真実、世界の本質を深く、しかしシンプルにえぐり出してきます。
2.
「抽象的な」演出とは
ここでいう「抽象的」な演出とはどのようなものでしょうか?
皆さんは「人間とは何か?」「私とは誰か?」といったことを考えることはあるでしょうか。このような問いかけが日常の中で考えられることはあまりありませんよね。時代や地域や民族の違いを超えて共通する人間と社会に対する根本的な問いかけを追求してきたのが「古典」と呼ばれる芸術です。「抽象的」なオペラ演出でも、この人間の本質や世界の本質を引き出してきます。そしてオペラを通して、人々が自らの心の奥底にあるものを発見する手助けをしています。
その際にはそれまでのオペラの舞台のような派手な衣装や写実的な舞台装置や大げさな演技が必要なくなります。例えばヴィーラントはマイスタージンガーの舞台からニュルンベルクの街並みを思わせるものをできるだけ取り除いています。できる限りシンプルで象徴的な舞台と動作は、作品に普遍性を持たせるための仕掛けだったと言えるでしょう。
3.
「ムジークテアター」
「新バイロイト様式」の後に広がった「ムジークテアター」において、演出の出発点は音楽です。「ムジークテアター」を提唱したフェルゼンシュタインは、『古典といわれる作品の総譜には、音楽の中にごく自然に人間の真実が描かれ、ドラマが内包され、必ず台本と一致している。』と言います。演出家は総譜から作者の意思を汲み取り、音楽のなかに描かれた人間の真実や世界の本質を理解することで、現代の観客にも納得し共感できるオペラを届けることができます。
4.
音楽の持つ「抽象的な」リアリティ
音楽の中には『ドラマが内包され』ているとありますが、そのドラマは演劇が伝える「具体的な」リアリティよりも「抽象的なもの」になります。演劇は言葉を用いていますから、より具体的に状況を伝えることができます。しかしそれゆえに時代や状況が変化することで力を失ってしまうことがあります。
『マイスタージンガー』を含むオペラの傑作の多くは19世紀に書かれていますが、その時代と200年後の私たちが生きる現実とでは当然多くの違いがあります。当時の社会の具体的な出来事が題材である劇の台本は、時の経過とともに古びてゆき、ついには忘却されてしまうことが多々あります。
一方で、音楽は、具体的な題材との結びつきに依存していない場合、抽象的な芸術であるがゆえに、それぞれの時代にそれぞれの観点や立場から解釈・演奏され、新しい時代感覚の中で生まれたばかりの作品であるかのように蘇ることが多いのです。
5.
オペラ演出家の力
オペラの演出家は、このような音楽の抽象的な力を利用し、新たな舞台芸術を創造することができます。つまり、音楽そのものが持つ抽象的なドラマのリアリティと、演劇が持つ具体的なドラマのリアリティとを、現代の視点から交差させ、化学反応を起こさせることによって、「音楽劇」=オペラの蘇生、「第三のドラマ」の創造が可能となるのです。「新バイロイト様式」は、このポテンシャルをより意識させる様式であり、「ムジークテアター」の理念と一致しているといえます。
現代ドイツには、現代社会に生きる私たち人間の心に強く訴えかけてくるものを作品の中から掴み雄弁に表現する演出家が多いことは戦後ドイツの社会・文化〈なぜ斬新な演出が多い?〉で先述しましたが、象徴的で抽象的な舞台を創造したヴィーラントは、その先駆者のひとりなのでしょう。
参考文献
ー藤野一夫「不可能性としてのユートピア《ローエングリン》」『クラシックジャーナル046 オペラ演出家 ペーター・コンヴィチュニー』pp40-47、山崎太郎編、株式会社アルファベータ、2012年