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19世紀​
​『マイスタージンガー』とワーグナーの思想

 このページでは、ワーグナーが考える理想の社会のあり方と、『マイスタージンガー』との関係について解説したいと思います。

 

 ワーグナーは神話や歴史において、財産となった所有権にこそあらゆる罪悪の源があると考えました。そしてこの誤りを基にして、政治国家は自然に反する方向へと発展を遂げながら人間を導こうとしたといいます。そのようなこれまでの国家は人間の本性をまったく理解していなかったのであり、個人の自由な自律を基礎として社会を建設するべきだと批判しました。さらに人間の本性に潜むこの無意識を、社会の中で意識化すること、その中で個人が自由な自己決定をなす際に必要なのは、国家を廃絶することだ、と主張するのです。マイスタージンガーは、そんな国家廃絶後の新しい社会の提案ともいえる作品なのです。

  ワーグナーは、個人の自由な自律を基礎とした新しい社会の基礎となるべき組織として、「ゲノッセンシャフト(Genossenschaft)」という概念を用います。これは市民の連帯を優先的な価値として、自主管理組織を水平的にネットワークしてゆく、といったあり方です。これはワーグナーにとって、外的強制によってのみ獲得される硬直した国家的結合とは違った、真に人間的な市民社会をつくるための理念でした。

 

 さらにワーグナーは、中世のギルドやツンフトのような同業者組合から、ゲノッセンシャフトのような他者にも開かれた公益的な協同組合へと移行するには、共同体外部からの美的インパクトが不可欠であるといいます。外部からの刺激によって内部の硬直を克服することで、他者との相互承認、合意形成がおこなわれ、新しい芸術と共同体の刷新が同時に生じる、というのです。

 

 この思想は『マイスタージンガー』の中に色濃く反映されています。劇中ではヴァルターが外部から美的インパクトをもたらす共同体の他者として、ハンス・ザックスが共同体内の新秩序形成の先導役、新しい芸術の指南役として登場します。自然素質のままでは受け入れられなかったよそ者のヴァルターは、仲介者ザックスの指南で人間的に成長してゆく。これに対応して共同体側もヴァルターの自由な芸術の影響を受けて硬直した規則を刷新し、他者に開かれたものとなっていくのです。

ー藤野一夫「恣意を超えた純粋に人間的なもの−−《ニーベルングの指環》における個人と社会の自律的生成『ワーグナーシュンポジオン2014』日本ワーグナー協会編、東海大学出版部、2014年

ー藤野一夫「ワーグナーの楽劇と著作にみる未来の社会構想―ゲノッセンシャフト概念を中心に」(日本ワーグナー協会 関西例会 講演原稿)、2015年

参考文献
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