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​ワーグナーとユダヤ人

 ヨーロッパ全体でユダヤ人がどのように位置づけられてきたかを説明してきましたが、ワーグナーも1850年の論文「音楽におけるユダヤ性」において、国民の反ユダヤ感情を宗教面や政治面においてではなく、もっぱら芸術面、ことに音楽との関連において究明を試み、反ユダヤ感情を自然発生的なものであると正当化しています。

 

彼によると、ユダヤ人は母国語を持たぬ「故郷喪失者」であり、長い歴史をかけて築き上げられたヨーロッパ文化には真に精通することが不可能であるとしています。ユダヤ人の芸術創作は模倣にすぎないというのが彼の持論です。それでもユダヤ人が芸術家、それも音楽家になり得た理由は、金とユダヤ人の膠着した関係にあると考えていました。次のトピックで詳しく説明しますが、ここにもワーグナーのユダヤ人嫌悪と金権(資本主義)嫌悪の結びつきが見て取れますね。

 

また、1881年に彼が書いた非常に反ユダヤ主義的な論文「汝自身を知れ」において、ユダヤ人は「人類を衰亡させる、人の形をした悪魔」とまで定義されるようになり、同年にワーグナーがルートヴィッヒ2世に宛てた手紙には、「ユダヤ人種」を「純粋な人類にとって、生まれながらの敵」とする認識が記されています。ワーグナーから見れば、ユダヤ人とは人類の敵であり、「悪魔」であり、悪魔払いをせぬうちは人類の自由はないということなのです。

 

終生あたたかいなつかしみを抱き続けた親友レールスなど、ワーグナーが生涯で親密な関係を持った人物にはユダヤ人の存在もありました。しかしながら、彼は一貫して反ユダヤ主義を通し、それ以上に年を重ねるにつれその思想は過激なものになっていったのです。

​ワーグナーのユダヤ人嫌悪
1.

 ワーグナーのここまで過激なユダヤ人憎悪はどのように形成されてきたのでしょうか。それを考えるにあたり、ワーグナーのパリ嫌悪、金権嫌悪、ユダヤ人嫌悪の関連は無視できません。パリで出会い、ワーグナーのユダヤ人嫌悪の根源をつくりあげた人物のひとり、マイアーベーアとの交際からワーグナーのユダヤ人憎悪の形成過程のヒントが得ることができるでしょう。

 

 1939年、26歳のワーグナーは、世界の音楽の都であり、革命が成功し、自由主義者たちの憧れの地でもあったパリに向かいました。その旅路で世界の名だたるグランド・オペラの大家、マイアーベーアに運良く遇い、推薦状をもらっています。希望に満ちていたワーグナーでしたが、当時のパリの音楽界で重視されるものは、何よりもまず実際的で有力なコネと知名度。マイアーベーアの推薦状は効力がありませんでした。その後パリに戻ったマイアーベーアは、貧窮し助けを求めてきたワーグナーに対し、労働職に就くのを手助けしたり、その後も、ワーグナーから作品の草案の委託や推薦を受けたりと、さまざまな助力しています。

 

そんなマイアーベーアに対し、また、ユダヤ人に対し、なぜワーグナーは嫌悪感をいだくようになってしまったのでしょうか。それには、革命の影響を受け、音楽が宮廷の娯楽から市民の芸術へと移行していったなかで、音楽家の社会的立場も大きく変化していたことも影響しています。一個の自由な芸術家の立場を得た一方、保護を受けない身分ゆえに生活の不安定さは免れず、近代社会の消費機構の内に己の作品を提供せざるを得なくなったのです。

 

ワーグナー自身も、作品が草案のみ売買されたり、借金を返済するために本業をおろそかにしてまで編曲の仕事を継続せざるを得なかったり、金権嫌悪が芽生えてしまうような状況に置かれていました。これが高利貸しというイメージが定着していたユダヤ人嫌悪に繋がるのは容易に理解できるでしょう。しかし、ここで強調しておきたいことは、パリ音楽界の主導者的存在であり、様々なサポートをしてくれたゆえに、ワーグナーが隷属する下僕のように卑屈な態度で接した人物、マイアーベーアこそがユダヤ人だったということです。

​パリ憎悪と金権憎悪が生んだワーグナーのユダヤ人憎悪
2.

 ワーグナーの反ユダヤ主義思想は、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』に登場するベックメッサーという人物からみてとることができます。

 

 第一に、ベックメッサーのモデルはエドゥアルト・ハンスリック(ハンスリッヒと発音することもできます)というウィーンの音楽批評家であると言われています。最終的にベックメッサーという名前に落ち着いたものの、1861年に成立している原稿においては「ハンスリック」という表記がみられるという事実もあります。この人物はワーグナーの音楽を「無限旋律」や「未来音楽」と呼んで批判しました。ちなみに「未来音楽」という言葉は、日常のドイツ語では「絵に描いた餅」といった意味。ワーグナーの楽劇は荒唐無稽だと揶揄したのです。しかもハンスリックはユダヤ系でした。そこでワーグナーは反撃に出ます。ハンスリックは、実際にこのマイスタージンガーの公演を見て、ベックメッサーが自分への当て擦りで、笑い者にされているのを感じ、憤慨したそうです。

 

 第二に、このベックメッサーという人物はワーグナーが論文の中で述べているおぞましいユダヤ人像にぴったり合致しているとみることができます。第三幕の第3場、第5場はまさにワーグナーのユダヤ人へのステレオタイプが色濃く反映されていると言って良いでしょう。

 

 第三幕第3場では、ベックメッサーがヴァルターの詩を盗む場面が展開されます。ユダヤ人は音楽面においても剽窃しかしないのである、というワーグナーの思想が反映されています。このベックメッサーによる窃盗行為は実は校正が進んでいくにつれて後から付け足されたものです。ここからもワーグナーが恣意的にこの行為を行わせたことがみてとれます。また、ベックメッサーにとってエーファは愛の対象ではなく、莫大な財産をもたらすものとして描かれています。ここにはユダヤ人の金銭的ながめつさを見てとることができるでしょう。

 

 第三幕第5場では、ベックメッサーがヴァルターの創った詩をうまく歌うことができず、元々の美しい詩から醜い言葉に変えて歌ってしまい、民衆の笑い者になる様子が描かれています。この場面は、真にドイツ民族ではないベックメッサーには、美しく正しいドイツ語を歌うことができなかったという様子を表していると見ることができます。

 

 一方、もう一つの見方として、実はベックメッサーは正しく歌っていたが、民衆の側がユダヤ人に対して色眼鏡のかかった目で見ていたために歪曲した形で受け取ったと考察することもできます。もちろん劇中で歌詞は歪められているのですが、私たちも日常生活においてそのように、偏見の目で相手を見ることによって事実が、違った形で認識されているかもしれないという危険性を心にとめておくことも大切ですね。

​『ニュルンベルクのマイスタージンガー』にみる反ユダヤ性
3.
ー鈴木淳子『ヴァーグナーと反ユダヤ主義「未来の芸術作品」と19世紀後半のドイツ精神』叢書ビブリオムジカ2011
参考文献
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